「君の名は。」を観ました

よかった。これは確かによかった。
ヒットするのも文句ない。
王道のストーリーに盤石の作画。
そして神木くんの演技は本当に素晴らしかった。
山や森が良い描き方をされているアニメ映画はそれだけで名作だという持論があるのですが、そういう意味でもばっちり。
しかし、個人的には何かが決定的に腑に落ちなかった。
どうしても最後のシーンまでにカタルシスを感じることができなかったんだ。
ここからはネタバレを含むので未鑑賞の人は是非一度何の先入観もなしに観てほしい。
これはまっさらな気持ちで観て楽しめる作品だと思うから。
とりあえず何が腑に落ちなかったのか、書きながら整理してみようと思う。

なぜカタルシスがなかったのか?

まず、この作品が好きか嫌いかで言うと自分はどちらにもなれなかった。
好き嫌い以前に、なんというか、いろんなことが気になってしまったのだ。
瀧くんと三葉のハッピーエンドで良かったんだが、いろいろと細かい点が気になってしまって、正直諸手を挙げて「これは好きだ!」とは言えないのだ。
例えば「なぜ瀧くんだったのか」
三葉はまだわかる。
宮水神社の巫女という特殊な立場で、代々入れ替わり現象を体験したことのある家系ということも祖母の一葉から語られている。
だがなぜ瀧くんである必要性があったのか?
三葉が「生まれ変わったら東京に住むイケメンになりたい」と境内で叫んだからか?
(境内だったかどうかはちょっとあやふやだけど、とりあえず例の「口神酒」の直後だったのは確か)
もしそれで東京に住むイケメン代表として瀧くんが選ばれたということであれば、何だろう、若干チープな話になってしまう気がする。
ただ、結果的に宮水の巫女の力に選ばれた瀧くんが三葉のことを想ってくれたおかげで糸守町が救われる世界にたどり着けたという意味ではロマンチックではある。
そもそもその必然性を描写すること自体が野暮かもしれない。
しかし次に来るのはこの「想い」について。
三葉が瀧くんに惹かれた理由はよくわかる。
上記のように東京に対するあこがれが強い田舎の娘が、東京生活を送る男子高校生に惹かれてしまうのはとても少女マンガ的な展開だし。
…だめだ悪意のある書き方になってしまうな。
いや、普通に考えて運命的なものを感じてしまうシチュエーションだということを言いたいんです。
そういう意味で序盤が三葉視点で進んでいったのもうなずける。
だが、瀧くんが三葉に惹かれる理由がよくわからない。
奥寺さんとのデートで瀧くんが「違う子を好きになっている」と言われたときに「はぁ何言ってんだろこの人」と感じてしまう程度には、そういう描写が足りていなかったように思う。
仮に瀧くんが三葉を気になって仕方なかったのだとしたら、もっとあざといくらいにそういう演出があってしかるべきだったと思う。
終盤、宮水神社のご本尊前で瀧くんが三葉の手のひらに「好きだ」と書いた、あの時点でならまだわからないでもない。
実際に会ってみたいと気になった三葉がもうすでにこの世の人でなかったと知り、必死に探し回ってようやく出会えた「かたわれどき」
あの瞬間の運命的な雰囲気で、男子高校生がかっこつけてあんなことを書いてしまう…
いや、でもあそこもやっぱり違うな。
時とともに記憶が薄れてしまうということが分かっていて、ようやく出会えた瞬間に名前ではなくあんなことを書いてしまうほどの三葉への想いがあったという風には、ちょっと納得できない。
実際に三葉があの手のひらの文字を見た瞬間に「何書いてんだ名前書けよあの野郎」と思ってしまった自分がいる。
たぶんこのあたりが納得できていないがゆえに、最後のハッピーエンドに素直に拍手を送れないのだと思う。

演出の「熱意」について

他に観た人たちからRADWIMPSの音楽が少し余計だったかもというような感想を聞いたが、正直RADにそこまで思い入れのない自分としては、演出として間違っていなかったように感じる。
だから音楽そのものや、歌ものの入れ方についての違和感はそこまで感じなかったし、結構いい仕事をしていたんじゃないかと思う。
それよりも「かたわれどき」を示唆する演出や、3年前の三葉が瀧くんを探しに来た時の代々木の駅のポスターが確かに3年前あたりにあったものになっているあたりとか、細かい演出の数々は確かに工夫を凝らされていたんだが、しかし!
描くべきはそこじゃなかったんじゃないかと!!
これはSFの力を借りて青春模様を描く作品だ。
だからもっと、青春模様を熱くさせるための演出を、もっともっとくどいくらいやるべきだったんじゃないか。
そういう演出に対する熱量の方向性が、本来向けられるべきところ以外に散ってしまっていたのではないか。
だからこその必然性に対する説得力が不足してしまったのではないか。
そこで、そもそも作品としての方向性が完全に違うことはわかった上で、シン・ゴジラやガルパンと比較してみる。
上記2作品は、完全なる娯楽映画であった。
ゴジラ対日本をとにかくまっすぐ無駄なく描き、可愛い女子高生が戦車でぶつかり合うその様だけを芸術とすら呼べる細かさで描いた。
そのためには恋愛模様や人間ドラマをはじめとする必要ない要素は徹底的に取り除かれている。
その代わりとして描くべきものをとにかく細かく、どこまでも圧倒的な情報量で描いている。
シン・ゴジラとガルパンは、徹底的に無駄を省かれた作品である。
たぶん、「君の名は。」にはそれが足りていない。
不思議なつながりで巡り合った男女がお互いの想いの力で町を救い、最後には本当の意味で出会うという、テーマはいい。
ストーリーも作画も音楽もいい。
ただ、そのテーマの根幹を、観るものに2時間ですべて伝えきれる構成と演出ではなかったのか。
「君の名は。」は一回の鑑賞で何を描きたい作品なのかはなんとなくわかった。
だが、正直シン・ゴジラとガルパンは一回目ではよくわからなかったのだ。
だから2回3回と繰り返し観て、その面白さを観るたびに発見していったのだ。
しかし、「君の名は。」は一回目で「なんとなく」わかってしまった。
なにを描きたい作品なのかが「なんとなく」わかってしまったから、繰り返し観ることで再発見できる新たな魅力があるようには、ちょっと思えない。
シン・ゴジラやガルパンのように「よくわからなかった」のではなく「もの足りなかった」から。
だから上で書いたことが気にならないのであれば、あるいはなにかそれを示唆する自分の気づいていない演出があるのだとすれば、楽しめるのだろう(初見で気づけない時点で残念なのだが)
繰り返すようにストーリーそのものはとても良いものなのだから。
そういう意味では作品そのもののポテンシャルは高いのだからもったいなさすら感じる。

とりあえずのまとめ

新海誠作品は今回が初体験でした。
だから今までの作風がどうだとか、そういうことは全く言えない。
けれど今回の作品を見て過去作も観てみたくなったのは事実。
名作なのは間違いないから。
そもそも観た勢いで感想を書きたくなった時点でやっぱり名作なんですよ。
批判的な記事書いたおかげで自己弁護に必死である。
きっとシン・ゴジラやガルパンが自分にとってよほど強烈な体験だったのだろう。
たぶんそうとう贅沢を求めているんだろうと思う一方で、そこまでいってたら本当の傑作になったんじゃないかというのが、きっとこの胸のモヤモヤの正体なんじゃないかと。
そういう感想でした。
ど素人が偉そうに語ってみたけど、どうでしょうか。
まだ感想ブログの類を一切見ていないので、世の人たちがどういう感想を持ったのか大変気になります。
とりあえずいろいろと読み歩いてみよう。
これを読んだ人の感想も聞いてみたいな。

「君の名は。」を観ました” への5件のフィードバック

  1. 「いろんなことが気になってしまった」っていう1文が本当にドンピシャすぎてwww
    演出にしても、ストーリーや設定にしても、いやいや何で?って思うことが多かったです僕も…

    あと、「1回でなんとなくわかってしまった」にも繋がるところがあると思うんですけど、ちょくちょく先が読める演出のせいで最終的なカタルシスが阻害された気がしてます。
    「きっとこう進んでいくんだろうな〜あーやっぱそうだったか」は良いんですけど、最後の最後は逆に「え?!それで終わり?!?!」ってなってしまったから、ある程度先を読ませない展開方法が必要だったのでは、と…

    総じてすごく素敵な話ではあったんですけどね!(保身)

    いいね

    1. >ちょくちょく先が読める演出のせいで最終的なカタルシスが阻害された気がしてます。
      なるほどなー。それもあると思う。
      OPテーマっぽい演出もそう考えると少し余計だったのかなって気もするしね。
      伏線とネタバレの境目というか、それがネタバレ気味になってしまっていた感じは否めないかも。

      いいね

  2. なんとも昂ぶってしまったのでぶちまけさせてください!!

    過去4作ほど見てる人間からすると新海作品にしては叙情感が薄かったなっていうのが大きい印象でした。
    お互いが入れ替わりに気づいてからの描写がダイジェストっぽく進んじゃったりでお互いの好意なんかに関する機微の表現が出来たであろう部分がすっ飛ばされちゃったような。

    その分進行は叙事的だったかなと、展開がきっちり分けられていて「入れ替わってます」「三葉に会いに行きます」「彗星が落ちてきます」みたいに受け手が進行把握しやすいようなフレームが明確だったような、「なんとなくわかってしまった」ていうのはこの辺によるような。

    この出来事主導で描いていく構造が瀧くんの必然性の弱さにも繋がるかなと、「三葉の入れ替わる対象」としての瀧くんの人間性とかバックグランド、感情だったりってのが表面的にしか描かれていないが故に瀧くんがその実没個性的になってしまったのではないかと、ある意味感情移入の対象たる主人公としては間違いではないのかもしれませんが。

    ラストのカタルシスに関しては俺は結構あったんですけど作品内部で引き起こされたカタルシスっていうよりは「新海作品なのにお互い気付くだけで飽き足らず、話しかけるんかい!!!」っていうカタルシスでしたね、その辺過去作見てる人とそうじゃない人で感じ方は違うんじゃないかなって思います。

    長々と失礼しました。。。

    いいね

  3. >なんとも昂ぶってしまったので
    いや、本当に。とにかく眠れなくなるくらい昂った。

    >ある意味感情移入の対象たる主人公としては間違いではないのかもしれませんが。
    俺の場合、逆に三葉に感情移入しちゃったんだよね。
    三葉は結構丁寧に心境が描かれていた気がしてさ。

    >過去作見てる人とそうじゃない人で
    結構過去作オマージュもあったらしいね。
    これを期に観てみようかしらね。

    あとで別エントリ書くけどさ、小説版、よかったんだよ。
    この記事で書いたみたいな違和感は完全にはぬぐえなかったんだけど、それでも映画版よりも素直に感動できたというか。
    何かが決定的に違ったんだろうなぁ。

    いいね

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中